梁の上から


バトン記事「時計」

「時計」とそれのさし示す時間は、人類に最も影響を与えた発明と言われる事もある。我々はそのおかげで昨日と明日がある事を知り、一日を分割し計画を立て、効率的に行動できるようになった。一方で我々は同時に空を見る事を止め、また同時に時間に縛られることを知り、そして進んで縛られるようになった。それの善悪は今となってはわかろうはずもない。
そんな「時計」であるが、小生は時計に縛られない生活をしばらく続けているせいか、何を語るべきか、というのが正直な所である。「若者の腕時計離れ」等と言うのは時計業界の宣伝に過ぎない事は今更語る程の事でもないし、かといって時計の構造、特にトゥールビヨンなどは見事な仕事だと関心はするが小生の語るべき所でもない。と考えた所で、小生も時計によって生活していた時代があったのを思い出した。

それは勿論中高生時代である。あの頃は、確かに時計の指し示す時間によって生活していた。特に小生の通っていたが学校ではチャイムを鳴らさず、自分で時計を見て行動しろという方針だったので、下手な同年代よりずっと時計を見て行動していたように思う。
朝に時間が来れば家を出、時間割に沿って授業を受け、昼が来れば昼飯を食い、また授業を受け、そして終業時間で帰る。さながら時計を動かす歯車の如く、かなり時間に沿って動いていたのは間違いない。何の生産性があっただろうか?そこに自分の意思というものはあっただろうか?
しかしそんな生活の中からある大切な事を学んだのである。勿論、自主的自発的に時計を見て時間を厳守する事ではない。確かに社会においては必要な事ではあるが、実際社会から零れ落ちて生活している小生には何かの足しになろうはずもない。

さて話は変わるが人の意識というものは時計ほど正確には進まないものである。誰しも経験のある事だろうが、授業中の、特に眠い時の時計の針の進み方の遅さと言ったらこの上ない、いやこの下は無い、というべきか、とにかく遅い物のように思えたものだ。
ベトコンゲリラさながら猛烈無比に襲い来る眠気との戦い、時に撃退したかのように思え、時に本丸への侵攻を許し、一進一退の攻防を演じている時に見る時計の針たるや、遅々として進まぬ革命への道の如しであった。しかし確実に進む時計の針の中に、小生はある教訓を見出したのである。それこそが小生が時計から、学校生活から学び取った何より大切な事だ。

それは、「終わらぬ授業は無い」という事である。どんなに辛く感じようとも、長く感じようとも、その授業に終わりは来る。信じていれば、休み時間は来るのだ。希望を捨ててはいけない!終わらない授業は無い!
この事実は、小生に勇気を与えてくれた。今後人生で授業を受ける事があろうとも、例えそれが無限に続くように感じられたとしても・・・
・・・考えてみれば小生が授業を受けることなど今後の人生であるだろうか?まずないだろう。
何にもならないじゃないか、結局!

2016/11/9
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p.s.
というわけで今回は野鼠新聞の胡瓜野狐氏からバトンを頂いた。「集合写真」の欺瞞を喝破した氏から頂いたお題ではあるが、残念な事に小生は自分の思い出を語るに止まってしまった。
次は最後の銀のプロミネンス島崎氏に「○○から学んだこと・もの」でお願いしたいです。

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