梁の上から


不筆の筆

毎日書かない日記は果たして日記なのだろうか。
日記(にっき)とは、日々の出来事を、ある程度連続的に紙などに記録したものである。単なる記録として扱われるものから、文学として扱われるものまで、その内容は様々である。ある人物の生涯にわたって記されるような長期にわたるものから、ある旅、ある職務、ある事件などの間だけ記された短期のものまで、期間・分量も様々であり、西洋・東洋を問わず、世界的に存在する。(wikipediaより)
毎日とはどこにも書いていないが、だがしかし「ある程度連続的に」とは書いてある。ある程度が具体的にどのくらいかは老若男女東西南北によって違うだろうし、何を以て「連続」しているかとするかという問題もある。人間は彼の精神が連続していると思い込んでいるが、果たして本当にそうだろうか。

ともかく引用を信用するならば「日」記であり「ある程度連続」なのだから何日で数えられる間隔で書くべきなのは間違いが無いだろう。だが今回参照したのはある程度の高度な機関や組織ならば「信用するな」と言われる場所である。だから上の記述を全く無視して考えてみよう。
ではそもそも日記に記すべき事とは何だろう。その日あった事や感じた事等であろうか。確かにそうだ。だが考えてみよう。我々は呼吸飲食排泄をしているが、それについて特記している向きはそう多くないだろう。何か特別な事を書くはずである。だが「何か特別な事」が毎日起きるだろうか?果たしてそれが毎日起きたら特別であり続けられるだろうか?答えはノーだ。

また日記において「書かない」というのはさほど悪い事のように思えないのである。便りが無いのは元気な証拠、日記が無いのは無事な証拠、書かなかった日は何事も無く平穏無事に過ごせたという旨の無筆の筆になりえるのではないだろうか?
寝た、起きた、食べた、その他諸々・・・そういう事を日記に書かなくて済むのは至って無事平穏だからであり、紛争や闘争等に巻き込まれ毎日のそういったつまらない事がつまらない事で無くなってしまっていないからであろう。

つまり日記というのは「日記」という体で存在しているだけで戦争、貧困、暴力といったものからは無縁である事を表し続けている。というわけで日記を書けない、書く事が無く困っているという諸兄は安心してほしい。勿論以上は日記と言いつつ数週間書かず仕舞いな小生の言い訳では無い。
成程しかしテキストサイト上でそれをやるのはいかがなものかという指摘はご勘弁頂きたい。今日はこの辺で。

2014/9/19
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