梁の上から


ある言説への苦言

常日頃から疑問に感じていた事がある。なぜこのような奇妙な言説がまかり通っているのかと。
確かにマスメディアや大衆というものは事実や真実よりも話題性を重要視し、その結果として時には世論操作が起きる事もある。
だがそれにしても何故、このような言説がさも一般的なものかのように用いられる事があるのだろうか?
「饅頭の皮は極薄い方が良い」、これは明らかに常軌を逸している。が、テレビのワイドショウで饅頭が紹介されるとかなりの確率で「見てくださいこの饅頭、こんなに皮が薄いんですネー、餡子たっぷりです!」などとのたまっている。

確かに個人の趣味というものはある。皮は薄ければ薄いほど良い、とする人間が居るのは当然であり、彼自身が彼自身の好みとしてそれを主張するのはもっともである。しかし一般論かどうかの問題として考えれば、道理がこれっぽっちも通っていないのは明確である。
それは何故か?簡潔に言えば、「饅頭とは皮と餡子の繊細なバランスで成り立っているもの」だからだ。早い話がそんなに薄皮が良いのなら、いっそのこと饅頭でなくても餡子をそのまま食べていれば良いのである。
そもそも饅頭とは、中国の「饅頭(マントオ)」が日本に来て何故か中に物を詰められたとかそうじゃないとかいう話があるとおり、皮(或いは生地と言ってもいいか)と餡子の食べ物なのであり、皮を蔑ろにし、あまつさえ邪魔者のように扱うという事は、饅頭そのものを否定する事に繋がるのだ。

だが理論だけでも仕方が無い。優れた理論は実践が伴ってこそだ。
そこで、ある実験をする事にした。薄皮至上理論の究極にあるものとしてそのままの餡子、そしてその対極にあるものとして何も入ってない饅頭と行きたかった所だが無かったのでただの食パン、それぞれを食べ比べてみることにした。
先ずはそのままの餡子を食してみる。なるほど、確かに餡子である。餡子好きには堪らない味である。が、やはりただの餡子である。決して饅頭ではない。
続いて食パン。さっきとは違って餡子の味と食パンの味が絡み合って・・・いや餡子の味が口に残っていた。口をゆすいでもう一度、なるほどただの食パンである。やはりこちらも饅頭ではなかった。
この実験を通して得られたのは、やはり両者が適切な量あってこその饅頭だ、という結論である。

上記の饅頭の来歴とそこから導き出される饅頭論、そして実験により、やはり「饅頭の皮は極薄い方が良い」という言説は間違いであることが証明された。
諸君も、「饅頭の皮を薄く!薄く!もっと薄く!」などと声高に叫ぶ扇動者が現れても、どうか惑わされずに、「皮と餡子の調和こそ饅頭」という事を忘れずに居て貰いたい。

2014/2/27
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