梁の上から


連続共通テーマ企画〜テーマは続くよどこまでも?〜

第四夜「芝生」

「芝生」と聞いて、諸兄はどのような印象を持たれるだろうか。青春、運動、ピクニック、その他諸々、何かと「爽やか」な印象を持っておられる向きも多いのではないだろうか。
実際の所、暫く前までは小生もそのような方向性での印象を持っていたように思う。しかし考えてみれば、全くの所そうでない、いやむしろがっかり、期待外れという言葉が適しているような気さえしてくるのだ。

まず、簡単に「芝生」等と言うが、芝生の維持と管理は実際生易しい物ではない。雑草、人間、天候、その他諸々によって芝生というものは簡単に破壊されてしまうし、そういう事に気を付けたうえで定期的にきちんと刈っておかなければ到底「芝生」とは呼べない状態になってしまう。
見給え、諸君の「爽やか」な「芝生」は、諸君が見向きもしないような様々な人間による「汗と涙」によって維持されているのだ。ただその利益を享受するばかりでその裏にあるものを考えようともしない、これを搾取と呼ばずに何と呼ぼうか。

さて、お次は定番の「芝生で昼寝」と言うやつである。気持ちの良い芝生を見ると人は「昼寝したら気持ちよさそー」等などと口にするものだが、実際にやってみるといい。何らかの大掛かりな対策を取らなければ、眩しいばかりで落ち着く事すら出来ない(無論、天候にもよるが)。
おまけに、土や草、或いは虫などが付いてしまう。何かを敷けばいいじゃないかと敷いてみれば、芝生を感じ辛くなり、最早芝生の上で昼寝をやる意義は薄れてしまう。小生はこの事に気が付いた時酷くがっかりしたものだ。

最後に慣用句も、芝生についての真実を教えてくれる。「隣の芝は青い」、これは勿論、他人の所有する何かは無条件で良い物に思えるという意味だが、当然読者諸兄はお分かりだろう、実際の所はそれほどでもないという含意がある。芝生は、青く見えたからと言って実際に青い物ではないし、常に過大評価を受ける可能性を持っていると、この慣用句は示してくれている。

さて、ここまで「ある類の搾取」であり、「昼寝に適した場所」でもなく、いくら青く見えようと「実際の所はそれほどでもない」という「芝生」の真実を見て来たわけだが、おわかり頂けただろうか。
これはつまり「芝生」の持つ一般的な印象にも言えるのだ。「青春」、「爽やか」、「若さ」、その他諸々。実際の所、そのどれもが虚像であり、欺瞞であり、虚無なのだ。決して、一般的な印象に惑わされてはならない事を、「芝生」は教えてくれるのである。

2016/8/10
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