「詰まる所、生徒会というものは現実には裏方の仕事であるのだ」
小生は、成程、と頷いた。確かに、現実世界において生徒会とは派手な物ではなく、所謂「優秀な」生徒たちのある意味では点数稼ぎに近いものだ。
実際小生にもまだ未来が少なくとも明るく見え、同時にその明るさに目が眩んでいた中高生だった頃があるのだが、その頃小生の通っていた学校ではわざわざ演説会など民主主義ごっこをして生徒会長を選んだものだが、さて決定した後の活動は、となるととんと知らぬ。
「そして君は”裏方”についてテキストを書きたまえ」
そういって小生はバトンを渡された。つまり、小生の学校での裏方としての体験を語れ、ということだろうか。小生はそう解釈した。それなら話は簡単である。文化祭、体育祭、その他諸々謙虚に裏方に徹する事中高六年。まさにうってつけの題材ではないか。
さっそくパソコンに向かい、かつて人並みの人生の範疇にあったはずの中高時代を想い出だそうとするも前述の生徒会の活動の如くこれが全く出てこない。最終的に思い出したのが、中高六年と皆勤であったものの、その実殆ど哲学的ゾンビの如く学校と家とを往復する小生の姿であった。
と言う訳で今回は小生の見つけた思わぬ”裏方”を発表しようと思う。予め言っておくが、当方には政治的意図は一切ない。
裏方。何においてもこの裏方と言うやつは存在し、時に思わぬ者がこの裏方として我々の生活を支えている。
ある日の事だ。唐突に「ふりかけ」を食べたくなった小生は、早速冷凍してあった白米を温め、適当に探して見付かったふりかけを掛けて食した。
わざわざ「うまい」と表現するほどでもなく、かといって満足しなかったわけでもなかった小生は、ふと手元に目を落とす。
「たらこふりかけ」。それがたった今小生が食したふりかけであった。何気なく成分表示に目をやると、あるものが目に留まった。
それが今回の裏方、「こしあん」であった。余りに意外な出会いに、小生は何度見たか覚えていない。「たらこ」と「こしあん」。全く接点の無さそうなこの二つが、しかし「たらこ」の裏方としてではあるが、この小生の手中のふりかけにおいて出会っているのだ。
何と素晴らしい事か。限りなくかけ離れていそうな二者の出会い。そしてこしあん。包んでよし、包まれてよし、そのままでも良し、ふりかけの「裏方」になってよし。やはりこしあんは素晴らしかった。
ともかく、「裏方」の奥の深さを思い知った事件であった。
政治的公平性の為に述べておけば、当然、小生はつぶあんも愛している。ではここまで。また次回までさようなら。
p.s.
というわけでtxt.editorの#ffffff氏にバトンを頂きました!ありがとうございます。勿論他意はありませんが、氏に「止めないように」と釘を刺されたので書ききれました。
次のバトンがちょっとしたトラブルで止まっていた所、羊の水海の早尾氏が受け取って下さいました。テーマは変わらず「つぶあんとこしあん」です。