梁の上から


最後から数番目の真実

「死ぬまでありえない」などという言い回しがあるが、果たしてあれは正しいのだろうか。なるほど経歴ホワイトな小生が就職どころか「普通の人生」など望むべくもなく、少なくとも生きているうちにはありえないというのは真理である。だが問題はここから先だ。「死ぬまでありえない」というのは確かに生きているうちの事には言及している。しかしその後、死んだ後にどうであるかについては言及していない。

個人的には「死ぬまでありえなかった」事が死んだくらいでありえるようになるとは想像しづらいのだが、ふととある宗教についての話を思い出した。その信徒たちは生前は飲酒禁止等の中々に厳しい戒律を守って生活しているそうだが、何と死後には酒池肉林、永遠の幼女達と快楽に溺れる事ができるとかできないとかいう話を聞いた事がある。これは「死ぬまでありえなかった」が死んだらありえるようになった例であろう。もっとも、自分は特に宗教を持たない人間であるので直接的には関係が無かったが。

さてもっと深く考えるために人間は死んだらどうなるのか考えてみよう。小生は先ほど「死ぬまでありえなかった」事が死んだくらいでありえるようになるとは考えづらい、と書いたが、これは「死ぬ前も死んだ後も人間の能力その他は変わらない」という仮説の上に成り立っている。

しかしこう考えてみてはどうだろう。「人間は死んだら誰もが自分の思うような超人になれる」、この仮説によって「死ぬまでありえないは正しいか」という命題を見てみれば、状況は一変する。生前能力不足で出来なかった様々の事が一挙にできるようになる。初対面の人間ともすぐ打ち解け、あらゆる場面でリーダーを任され優れたリーダーシップを発揮し、どんな状況になってもすぐさま即戦力、友達や恋人の居なかった事が無い等のウルトラC級の離れ業だって出来る。確かにこの仮説が正しいならば「死ぬまでありえない」は正しい。

しかしこの仮説には大きな落とし穴がある。もしこの仮説が正しいならば、全員がとんでもない超人になる事になる。例えどんなに素晴らしい能力を持った人間であろうと、同じような能力を持った人間しかいない社会では、彼は超人たりうるだろうか。いや、ただの凡人になってしまうだろう。とすれば、結局何らかのきっかけで生前と同じような格差が生じ、結局は「死んでもありえなかった」となってしまわないだろうか。

以上の事から推測するれば、やはり「死ぬまでありえない」は間違っていて、これからは「死んでもありえない」と言うべきなのではないだろうか。それともやはり、「死ぬまでありえない」は正しくて、小生も「普通の生活」が送れるようになるのだろうか。いずれ真相を確かめる時が来たら小生はまず第一にこのサイトを通じて諸兄にお伝えしたい所存であるが、それは恐らくまだ先の事である。

2014/5/1
雑記一覧へ
topに戻る
inserted by FC2 system