梁の上から


瓶をわが手に

瓶に入った飲み物とはうまい。飲み口の大きさか、ガラスという材質か、手に伝わる冷たさか、或いは単なるイメージか、何のせいだか知らないがとにかくうまい。少なくとも、うまい気はする。
かつては広く用いられていて、栓抜きが一家に一個どころか一人一個だったなんて話も聞くが、今ではトンと見かけなくなってしまった。しかし、と言うよりそのせいか、fallout3のヌカコーラなんかがいい例で創作物の中で登場人物が瓶入りの飲み物をうまそうに飲んでいるこちらも瓶で飲みたくなってしまう。単なる希少性に踊らされているといえばそうかもしれない。だがそれでも構わないとさえ思わせる魅力がそこにはある。

ある暑い日の事、小生は何ともなしに町を徘徊していた。丁度喉も渇きを主張してきた所だ、「瓶のコーラあります。」ののぼり旗を見かけた。普段は何気なく前を通っていたラーメン屋が物凄く魅力的に見え、堪らず入ってしまった。席についてメニューを見ると、確かに瓶のコーラがある。250円と割高だが、瓶入りならば仕方ないとラーメンと一緒に注文する。
暫く待った後、ラーメンとお待ちかねの瓶のコーラと空のコップが出てくる。はてこのコップは、と思ったが構わず瓶のコーラを一口飲む。うまい。確かにうまい。やはりコーラはこうでなくては、と頷いていると店員がやってきて強い口調で衝撃の一言を発した。
 「 コ ッ プ に 注 い で 飲 ん で 下 さ い 。」
何たる事か、「瓶のコーラあります。」と言ったのはそちらではないか。確かに「瓶で飲ませる」とは言わなかったが、瓶で飲めると思うのが普通である。これは詐欺ではないか?そちらがそう出るならばこちらも相応の覚悟はある。

「瓶のコーラを瓶で飲ませない」という歴史的大罪に普段は見つめ合わなくてもお喋りできない程小心者の小生ですらせめてもの抗議を行おうかと思ったが、腹を括った頃には既に店員は去った後だった。決心を向ける先を失いテーブルの上を泳いだ視線が、瓶に入っているコーラを捕らえた。
さっきまであれほど多く見えたコーラが、輝いて見えたコーラが、うまく感じたコーラが、今では色あせてただ割高なだけのコーラに見えた。
コップに注ぎ、やり場の無い思いをぶつける様に飲み干した。普段通りの味のはずが、少し苦く感じられた。

・・・以上は瓶の魔力と挫折に関する一夏の思い出である。瓶はこれほどまでに魅力的であり、そして人はこうして成長していくのだ。

2014/4/9
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