梁の上から


日記

ここが俺の日記帳だ

2016/10/27
何故だかはよく分からないが「そういえば生牡蠣を食べたいと長い事考えているな」などという事をふと思い出し、「夏の間に冷やし中華を食べ損ねた」ような、あの感覚を覚えたので少しばかり調べてみると、牡蠣の旬は丁度寒くなる季節、つまりこれからとの事だった。
当然、「良かった間に合った」と感じるべきなのであろう。時期を逸してしまった、或いは失った青春、いやそもそもはなから存在していなかった青春のように、ある種の喪失感を覚える必要も無いのだ。これから旨い牡蠣を楽しめるのだ。そう思うのなら、存分に。
だが小生が覚えたのはどれとも異なる感情であった。「そうか」、調べ終えた小生が呟いたのはただその一言であった。特にこれといった感情も無く、勿論冒頭で書いたような郷愁のようなものも消えてしまっていた。
そしてその事に対しても、やはり「そんなものか」と考えただけであった。でもせっかくだからそのうち食べに行こう。

2016/10/16
「石の上にも三年」という言葉は、ご存じの通り、例え冷たい石の上でも三年も我慢して座っていれば暖かくなるとか何とかそういうものから転じて、「例え苦境にあっても我慢して続けていれば良い方向に向かう」とか何とかそういう意味の諺である。何故急にこんな話を始めたかというと、つい先日小生がとある発見をしたためである。
あの夏の熱気はどこへやら、急に忍び寄ってきた寒気に誘われて、小生は趣味である徘徊へと出掛けた。その途中小腹が空いたのでコンビニに寄り、軽食を購入し、近くの公園へと向かった。適当な場所に腰掛け購入した軽食と乾いた空気を楽しむも、やはり襲い来る冷気には抗いきれるものではない。一人の人間が発する熱量などたかが知れていて、周囲の空気や、座っている地面など、底の無い海のように、容赦なく小生の体温を奪って行くばかりで、ちっとも温かくなりはしない。限界を感じた小生はすぐさま近場の本屋へと駆け込み、暫し暖を取った後、帰路に着いた。
つまりこういう事だ。もし寒いのなら、冷たさを感じるのなら、我慢などせずにすぐさま移動するなり、暖房器具を使うなりするべきだ、という事だ。寒いがいつか暖かくなるだろうと思って何もしないのは、美徳というよりむしろ怠惰である。やる事に欠いて我慢等と言うのは人間知性の敗北である。
結論を述べよう。「石の上にも三年」とは、我慢や努力を説いた諺のようでいて、より大局的に見ればその実そういったものが所詮怠惰にすぎない事を教えてくれるのである。
というような事を、「石の上にも三年」ならぬ「椅子の上にも三年」のような生活を送る内に考えた。

2016/8/29
今日はファミリーレストラン、所謂ファミレスに行く機会があった。読んで字の如くな場所に、小生のような人間が行くのも不思議極まりない事ではあるが、ともかくそういう機会があった。全く現実は小説よりも奇なりとかそう云うやつである。
味、値段、量、衛生、客層その他諸々気に掛けられる向きも多いだろうが、日頃の行い故に小生は今更そのような事は気にならなかった。しかし、そんな小生でもただ一つ気にかかって仕方のない事があった。
それは注文した定食が届いた直後に起こった。テーブルに置いてあるケースから箸を取り、先ずは白米でも食べようかと手を伸ばした時、ある違和感を覚えた。白米が妙に堅いのである。いや白米が堅いのではなかった。箸が妙に柔らかかったのである。白米の密度や弾力に負けて、箸がしなっていたのである。
もしかして本当に白米が堅いのではと惣菜に箸を伸ばしてみた所、やはり箸が妙に柔らかいのだという事が判明した。
それが何一つ自由にならない世の中を、自分の意思や生き方を貫き通す事が余りにも困難である世の中を、また経済的なものも含めその他諸々の苦境を表しているように感じられたからだろうか、何故か妙に悲しい気持ちを覚えてしまった。

2016/7/25
それは、昨日の事であった。相変わらず手持無沙汰な小生は、その後起こる事など知る由もなく、自室でただ椅子に座りぼんやりとしていた。とりとめのない思考が一巡、二巡と何巡りしたかもわからなくなった頃、それは起こった。パチンという弾くような音が鳴り、突然電気が消えたのだ。部屋の入り口を見ると、拳銃を持った男が立っていた。
「ボスがお前に話があるそうだ。おとなしく付いてきな」そう言った男は夏だというのに黒の外套を纏い、深く帽子を被っていた上、その日は曇りで薄暗かったので目元はあまり良く見えなかった。また、この季節にふさわしい格好のようにも見えなかった。
「そんな恰好で暑くないかね。帽子と外套を取るならそこにスタンドがある」と小生は言ったが、男は取り合わなかった。
「いいや結構。あんたが冷房を効かせてくれてるおかげで助かってるぜ。さ、黙って付いてきな。要らん怪我はしたくないだろう」
何か洒落た言葉でも返そうとしたが、小生は拳銃も持っていなかったし、また机に足を上げた現在の体勢からでは到底勝ち目は無かったので、黙って付いていくしかなかった。

なんてことは無く、ただ天井の電灯が故障しただけだった。幸い予備の卓上用の電灯があったのでその日はそれで我慢したが、どうにも暗くて仕方がなかったので、今日新しい物を買いに行って取り付けた、と言う訳だ。
さて、テキストサイト界隈では電球を変えるのに何人必要だかご存じだろうか?
答えは最低でも6、7人である。一人が記事にし、数人の常連がそれにコメントし、その他多数がそれを眺める。
では小生が電球を変えるのには何人必要だろうか?
当然一人である。小生には電球を支えて乗った椅子を回してくれる人間も居なければ、肩車して回ってくれる人間も居ない。ましてや代わりに変えてくれる人間も居ない。無念。

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