梁の上から


2014年9月

2014/9/29
今日少し出かけてローソンで買い物したら釣銭が711円だった。だからどうしたという話でもないし、誰がどう見ても心底どうでもいい事だろう。自分でもどうでもいい事だと思っている。ではなぜわざわざこんなことを書いたか。
端的に言えば「物事に意味があるかどうかではなく意味を見出すかどうか」という事を示したかったからである。結局それ自身として意味を持つモノは無くて、人間がそれに意味を見出したか否かという違いしかないのである。星座などがいい例で、所詮アレは無数の光点でしかない。そこに線を引き、何らかの抽象的意味を与え、見出したからこそ現在一部の人々が有難がる「星座」になっているのである。
では冒頭の話に戻って意味を見出してみよう。「ローソンで買い物したら釣銭が711円だった」、これ自身は何の意味も持たない。買い物など誰でもするし、丁度払ったのでなければ釣銭くらい誰でも貰うだろう。ではここで「711円」という所に着目してみよう。「711」とはから連想されるのは何だろう。モンゴル革命記念日だろうか?YS-11記念日だろうか?とりあえずここではコンビニチェーンの「セブンイレブン」としておこう。
するとどうだろう。途端に冒頭の話は「ローソンで買い物したら釣銭が同業他社のセブンイレブンを表す数字になった」と解釈できるようになる。どうだろう、「伊勢丹の買い物袋を三越で使った」と同じようなおかしさがないだろうか?
はっきりとこう言えるだろう、全く面白くないしやはりどうでもいい、と。やはり心底どうでもいいことは心底どうでもいい事だったのだ。だが資本主義に毒され消費社会に蝕まれ、ひたすらに「意味のある人間であれ、価値のある人間であれ!」と急かされる現代において、こういった死ぬ程どうでもいい事、無駄な事と向き合う時間を蔑ろにして欲しくないのである。小生は常に世間に背を向けその先駆けを果たし続けたいと思っている。

2014/9/22
最近夜更かしが続いていて起きるのが遅くなっていたのでそろそろちゃんと起きようかと思い、確実に目を覚ますために目覚まし時計を起き上がらなければ手が届かない所に置いた。
これで明日からちゃんと起きてちゃんと寝よう、などと思ってその時は寝たのだが、気が付いてみると昼頃だった。目覚まし時計はしっかりと設定したはずだが、何故か止めた覚えも無いのに手元にあった。
夢遊的なものだろうか、これを活用すれば知らず知らずの内に社会復帰への準備が出来るのではないか、と思考を巡らせる内に眠ってしまったのか次に気が付くと三時ごろだった。
久しぶりに外出する予定が崩れてしまったので仕方なく家でゲームをした一日だった。

2014/9/4
九月も四日を過ぎ、この間暑くなったばかりだというのにもう涼しくなってきた、などと油断していると案外暑さが残っていたりしている。とはいえ夏の暑さに慣れ、未だに夏気分が抜けていない状態では「寒い」とまで感じる時も多く、服装や寝る時の布団等中々悩む所である。
小生もそろそろ秋用の布団を出そうか、長袖にしようか、等と思案している最中であるが、衣替え模様替えの手間も相まってどうにも決めあぐねている。そのせいだろうか、季節の変わり目に少し不調をきたす事もあり、本気を出そうにも出せない状況である。
無論季節の変わり目に用心すべきなのは広く世間一般にも言える事だろう。この季節に体調を崩すと長引きやすく、後々に不都合を生ずるのは言うまでもない。諸兄も今月は体調に気を付けつつぐっと我慢して来月から本気を出してみてはいかがだろうか。

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